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世界遺産の富岡製糸場と韓国 [韓国]

世界遺産に富岡製糸場と絹産業遺産群が登録されましたが、
これについて韓国はなんと言っているのでしょうか?
ちょっと気になったので、調べてみました。



調べてみたところ、
韓国がこれと言って何かを発言しているという情報は、
あまりみつかりませんでした。


どうやら富岡製糸場の生糸産業が
大日本帝国という軍事国家を影で支えたという理論があるみたいですね。
ただ、これは一部で、多くは何もないようです。


韓国や中国は確かに、
何があっても日本のすることに何らかの
発言をするというイメージですが、
政治的にあまり関係ない今回のような場合は、
特に何かするというわけではないのでしょうね。


確かに韓国に何か世界遺産に登録された遺跡ができても、
日本人としては、へ~良かったね~くらいなものでしょうし。
韓国人もそんな感じなのかもしれませんね。



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ただ、従軍慰安婦について、
世界記憶遺産として登録を申請していますので、
これは注視しなければなりませんね~。


記憶遺産なので、資料が対象になります。


でっち上げなのは日本人の多くはわかりきっているのですが、
世界は韓国のロビー活動などのおかげで、
虚偽の知識が広がっています。


河野談話で、一度認めてしまったことがかなり痛手となっていますね。
裁判でも一度認めてその後否認に転じても、
心証はかなり悪いですからね。


登録されたら、
より多くの世界の人が間違った方に知識を持ってしまうので、
なんとかしたいところですね。


資料もどんなものを提出するか気になりますね。
正しくないのは間違いないのですが、
審査する人が最初から正しいと思いこんでいなければ良いなあと思います。


とりあえず富岡製糸場と絹産業遺産群の2014年の登録は喜ばしいですが、
2015年の従軍慰安婦についての登録審査があるので、
来年も世界遺産についての動きから目が離せませんね。


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富岡製糸場の歴史について [歴史]


富岡製糸場の歴史について、
わかりやすく簡明に
書いてみたいと思います。



操業まで

まず時代は開国直後の明治時代までさかのぼります。
開国直後の日本は欧州列強に追い付こうと必死でした。
そのため、大量生産のための工業化をしようと考えたのですが、
それが生糸だったのです。


生糸は当時世界的に生産が不振で、
需要が高まっていました。

これにより、粗悪品を作る者が増え、
良品を作って日本の生糸の信用を取り戻す必要もあったのです。


そこで日本政府は、官営(国営)工場として、日本の資本のみで工場を作り、
工業を成功させ、日本の近代化の足掛かりにしようと考えたのです。

場所については繭や水の調達、地元の理解などの理由から、
富岡が選ばれました。


工場についてはフランス人の技術者ポール・ブリューナと契約しました。
そのフランス人は、フランスから教える技術者を招き、
器械をフランスから持ってきました。

ただ、当時のフランス人と日本人では体格が違うため、
日本人に合わせて器械を作ったり、また、日本の気候に合わせたりした特注品でした。


そして、ここで働く工女を募集したのですが、
欧州の人に生き血を吸われるというデマが流れ、
なかなか集まらなかったといいます。

そこで、初代所長の尾高惇忠は、自分の娘を工女とすることにしました。
デマをなんとか払拭し、ついに1872年(明治5年)操業が始まりました。



官営時代

しかし最初は利益を出すことができませんでした。
工女の入れ替わりの激しさゆえの技術不足に加え、
フランス人技術者たちにも高い報酬が支払われたからです。

そこで数年後、フランス人技術者は契約終了して帰国してもらい、
日本人だけで操業しました。


それでも赤字が続きました。
官営だと、やはり利益に対するこだわりはあまり強くないのでしょうね。



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民営化から現在まで

その後、民間に払い下げをされることになりました。
それからは利益が上がるようになりました。
ただ、労働時間がのびるなど、
労働条件は悪くなったようです。


そして、何人かの手を移りながら、
現在の片倉工業株式会社の手に移りました。


片倉工業株式会社は、1987年の操業を停止後もずっと保存を続けました。
年に一億円かかることもあったようですが、
とにかく当時の状態を守ることに尽力され、
ほぼ当時の状態のまま、現在も維持されています。


その後、地方自治体の世界遺産登録を目指す方針に同意し、
2003年に富岡市に譲渡されました。
その後、国宝となることになり、
そして2014年、世界遺産になることになったのです。



富岡製糸場が作られたこと自体は、
当時の地元民に先見の明があったり、
生糸の需要がとても高まったり、
偶然の重なりと言っても良いできごとが重なったようにも思います。


どちらにせよ近代化をすすめたい日本としては、
どこかしらに工場を建てて、
近代化を推し進めるつもりだったでしょうから。


では富岡製糸場の世界遺産登録を必然にしたものは何か?
というと、やはり片倉工業株式会社の功績だと思います。

「貸さない、売らない、壊さない」の方針で、
費用がいくら高かろうが操業当時の姿を守ることにこだわったことで、
世界遺産登録が生まれたのではないかと。
だから本当に感謝ですね。

もちろん、戦争の戦火に巻き込まれなかった幸運もありますが。


以上、富岡製糸場の歴史でした。


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富岡製糸場の場所 [場所]

富岡製糸場と絹産業遺産群の場所について、
調べてみたいと思います。


富岡製糸場と絹産業遺産群は、
すべて群馬県に存在するのですが、
その1つ1つが、けっこう離れています。


なので、すべてまわるツアーでもなく旅行に行く場合は、
しっかり計画をたてて行かねばなりません。




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まず、富岡製糸場です。

場所は、
〒370-2316
群馬県富岡市富岡1番地1
になります。

地図はこちら!(クリックすると地図が出ます)


ちなみにアクセスについてはこちらをご覧ください。
自動車の場合(クリックするとページが出ます)
電車の場合(クリックするとページが出ます)

クルマで行くか電車で行くかですが、
難しいところですね。


いましばらくはかなり混む可能性が高いので、
そう考えると駐車場が確保できるかあやしいことから、
電車やツアーで行く方が良いような気がします。


駐車場の数が少なく、
入れない可能性が結構あります。
なので、電車とタクシーを駆使して行くのが良いのではないかと思います。


ちなみに関東以外の方は、
まず高崎駅まで新幹線などで行って、
上信電鉄に乗り換えて上州富岡駅で降りることになります。



次に高山社跡です。

場所は、
〒375-0036
群馬県藤岡市高山237
になります。

地図はこちら!

アクセスについてはこちら!
自動車の場合(クリックするとページが出ます)
電車の場合(クリックするとページが出ます)

ここは自動車で行くのも電車とバスやタクシーを駆使して行くのも、
どっちもありな気がします。
ツアーなんかに組み込まれているもので行くという方法もありますね。



次に、荒船風穴です。

群馬県甘楽郡下仁田町南野牧ですが、詳しい地番はわかりません。
地図はこちら!

アクセスについてはこちらです!
自動車の場合(クリックするとページが出ます)
電車の場合(クリックするとページが出ます)

ここは自動車で行くか、駅からタクシーで行くかですね。
土日休日はバスとシャトルワゴンで行けるようです。



最後に、田島弥平旧宅です。

住所は、
群馬県伊勢崎市境島村2243です。

地図はこちら!


ここもアクセスはクルマで行くしかないようです。
駅からタクシーで行くのは大変ですが、できなくはないようですね。
くわしくはこちらです。
自動車の場合(クリックするとページが出ます)
電車の場合(クリックするとページが出ます)

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富岡製糸場と絹産業遺産群と世界遺産とは [絹産業遺産群]


今回新たに世界遺産となった富岡製糸場と絹産業遺産群ですが、
富岡製糸場のほかの絹産業遺産群とは、 高山社跡、荒船風穴、田島弥平旧宅の、
3つの場所を示します。

富岡製糸場と絹産業遺産群について1つ1つ解説します。




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①富岡製糸場

明治時代、開国した日本は既に随分先を行っていた欧州列強に追いつくため、
ときの日本政府は近代化を進めることにしました中で、
その先駆けとなった、生糸の器械産業の官営工場です。


本当は重工業をガンガンやって、
列強に追いつきたかったかもしれませんが、
急がば回れということと、
当時生糸は世界的に不振で、大きな需要が見込めることからチャンスだったことがあげられます。


また、なぜ今の群馬県である上州の地が選ばれたかというと、
工場用の広い土地があること、
たくさん使う水が豊富にあること、
元々上州はカイコの生産をしていた地で、カイコの調達も容易だったこと、
何より地元の反対がなかったことなどがその理由とされています。


やはり地元の反対があるなかどでかい工場をたてて、
大きな音をたてて操業するのは難しいでしょうから、
地元の人の反対がなかったのが一番大きいのではないでしょうか?


反対する人って、すごい行動に出ますし。
その場所に住んで居座ったり、
もっとすごくなるとせっかくつくった建物を無理に壊したりしますし。
上州の方々の先見の明に敬服です。


そして、フランス人の技術者と契約し、
操業がはじまりました。


この工場は世界的にも最大規模で、
また、和洋折衷の建物で珍しかったことも特筆すべきことですね。
木骨にレンガの壁に、屋根は瓦だったのです。
日本からすると、技術を取り入れて進化したのは
カイコの生産だけではなく、建物や道具もそうだったのですね~。


この生糸は非常に高品質で、良く売れたといいます。
官営工場だったこともあり、利益よりとにかく良い品質を!
という方針だったようです。


その後、民間に払い下げもあったりして人手に渡って渡った後、
今の片倉工業株式会社が所有し、当時の姿を守ることに腐心しながら
工場を守り続け、現代としては貴重な、ほぼ当時の姿を保ったまま、
世界遺産になったのです。


片倉工業の方々には頭が下がりますね。
保存費もすさまじく、年に一億円かかったこともあるとか。
それでもたとえばお金をとって人に見せたりするのではなく、
ただ守っていたということですから、
本当にすごいです。ありがとうございます。



②高山社跡

明治当時、高山長五郎さんと言う方が、
カイコを安定的に育てる清温育という方法を確立しました。
それまでは安定して育てることができなかったのですね~。


カイコってのはデリケートな生き物で、
育てるのが難しかったといいます。


やはり生き物を育てるというのは、
難しいのですね。
植物でも、リンゴなんかも育てるのが難しいっていいますね。
動物にせよ植物にせよ、大変なものは大変なようです。


そして高山社というところで、カイコの研究と、
清温育を人に教えるいわば学校のようなところのあとが、
高山社跡です。


カイコの生産が大きく発展した場所ということで、
ここも世界遺産に加わりました。



③田島弥平旧宅

田島弥平旧宅は、跡ではなく旧宅とあるとおり、
まだ現存して田島さんの子孫の方が現住しています。


ここはカイコを育てる農家だったところで、
上記の清温育の参考になった、清涼育と言う方法で育てられました。
その方法を発見したのが田島弥平さんです。


ここもカイコの生産の発展に大きく寄与したということで、
世界遺産です。



④荒船風穴

ここは蚕種という、カイコの卵を保管するところでした。
なにがすごいかって、その規模がずば抜けていたことがあげられます。


他の人から請け負って、保管したりしていたようです。
ほかにも風穴はありましたが、その規模ゆえに、
世界遺産となったようです。


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富岡製糸場が世界遺産となった理由について [世界遺産の理由]



富岡製糸場が正式に世界遺産の仲間入りをしましたね。

しかしなぜ世界遺産として認められたのか、
理由が気になるところです。

というわけで、理由を調べてみました。


厳密には富岡製糸場だけではなく、
高山社跡、田島弥平旧宅、荒船風穴の絹産業遺産群を含めて世界遺産ですので、
1つ1つその理由を書きます。




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①富岡製糸場

まず富岡製糸場がフランスの優れた技術を導入し、
いち早く自分のものとし、

それによって高品質の生糸を作り、世界からの信用も得て、
日本の近代化に大きく発展し、
また、世界的にも養蚕技術の発展に寄与した、
ということがあげられます。


技術大国日本の片鱗は、
もうこんな時期からみせていたのですね~。


当時の工女たちも勤勉だったなんて、
同じ日本人で良かったな~と思います。


ほかに、建物自体もとても良い評価でした。
というには、壁は木骨にレンガで造ってあり、屋根は瓦という、
和洋折衷の当時の象徴みたいな建物なのです。


また、片倉工業株式会社がきれいな状態で、
なおかつ当時の製法にこだわって保存していたので、
当時のことを知る建物としても、高評価でした。


どこの時代のどこの場所の歴史も、文化と文化が重なると、
つながった新たな文化が生まれていますね。
日本でも神仏が一緒になったりしていますし。



②高山社跡

高山長五郎氏がカイコの生育法(清温育)を確立し、
高山社といういわゆる学校で研究と後進の育成に励んだそうです。
ここで教えられた生徒が、さらに地元に戻るなどして教えました。


まさにこの場所が生糸の工業の大事な一翼を担っていたのですね~。
それまではカイコというのは、養育が難しいもので、
生産量も年によってまちまちで、
安定的な生産が難しかったそうです。


今でいうと、マグロやウナギみたいなものでしょうか?
マグロやウナギは需要がすごくあるのに、
養殖がとても難しいのです。



③田島弥平旧宅

その名のとおり、田島弥平氏が功績者なのですが、
高山長五郎氏の清温育の元になった、
「清涼育」という方法を確立した方です。


そしてこの家は、この清涼育に適した構造をしています。
つまり、ここでカイコが育てられていました。


そして今も、田島弥平氏の子孫がこの家に暮らしています。
なので、家の中は見ることができず、庭までしか行けません。


それにしても、世界遺産の家に住むってどんな気分なんでしょうね~。
とりあえず知り合いには自慢してまわりますね。
そしてここを訪ねる友人もまたその友人に自慢するのでしょうね。


また、明治時代の家だから、築100年は軽く超えてますね。
逆に世界遺産ということで、
今住んでいる子孫の方々は、よりちゃんと保存しなくてはと、
プレッシャーを感じているかもしれませんね^_^;



④荒船風穴

ここは、蚕種というカイコの卵を保存するところでした。


ほかにもあったのになぜここかというと、
規模がずば抜けていたことにあります。
どのくらい差があるかというと、


田舎の電器屋と都会の家電量販店くらいです。
すごいですね~。


以上、富岡製糸場等が世界遺産となった理由でした。


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富岡製糸場への電車でのアクセス方法 [アクセス]

富岡製糸場への、電車でのアクセス方法について、調べてみました。
他の世界遺産地へのアクセス方法についても調べてみました。



①富岡製糸場

まず、富岡製糸場です。
ホームページにのっています。


東京駅からなら高崎駅まで上越・長野新幹線で1時間ほど、
新宿駅からなら高崎駅まで湘南新宿ラインで2時間ほど、
高崎駅で上信電鉄に乗り換えて40分ほど電車に揺られ、
上州富岡駅で下車します。その後徒歩約15分で着きます。

最寄駅からのルートを調べられるよう、
ヤフーの路線検索を貼っておきます(クリックするとページがでます)。

地図はこちら!

上信電鉄の時刻表はこちら!(クリックすると出ます)
富岡製糸場見学往復割引乗車券はこちら!(クリックすると出ます)




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②高山社跡

次に、富岡製糸場と絹産業遺産群の1つ、高山社跡への行き方です。


まずJR高崎線の「新町駅」で下車します。

最寄駅からのルートを調べられるよう、
ヤフーの路線検索を貼っておきます。

その後、タクシーの運ちゃんに頼めば、約30分で着きます。
ただこれだと楽ですがお金がかかります(汗)

というわけで、もう1つの方法、
多野藤岡広域路線バス「かんながわ号」で行くという方法があります。
約35分ほど乗った、「高山社跡」というバス停で下車すればOKです。


他のルートとして、
JR八高線の群馬藤岡駅で下車します。

そして、タクシーの運ちゃんに頼めば約20分で着きます。

しかしそれでは高い!という方は、
市内循環バス「めぐるん」でおよそ35分ほど行った、
「高山社跡」バス停で下車ですればOKです。


ここには、解説員がいるそうなので、詳しい歴史をきくことができますよ。

ちなみにこの施設は、カイコの育て方の研究と講義をしていたところです。
大学みたいなところだったのですね。



③荒船風穴

次に、富岡製糸場と絹産業遺産群の1つ、荒船風穴への行き方です。
下仁田駅というところで下車します。

最寄駅からのルートを調べられるよう、
ヤフーの路線検索を貼っておきます。

注意として、平日は駅から観光タクシーを使うしかないようです。
歩いて行くのは無理ですよ?
マラソン選手並みに速くないと。
タクシーで35分の距離ですから。


土日休日であれば、観光タクシーのほかに、
しもにたバス(市野萱線)でサンスポーツランドへ行き、
シャトルワゴンで行けるようです。


詳しくは下仁田町のホームページをご覧ください。
こちらです!(クリックするとHPが出ます)


ここへは、料金を考えると土日休日経由で行きたいところですね。
つまり、世界遺産全部は2日はないとまわりづらいので、
金土曜日で行くとか、日月曜日で行くとかですね。


ちなみにこの施設はなにかというと、
カイコの保存施設だったところです。



④田島弥平旧宅

最後に、田島弥平旧宅です。

ここには、田島弥平旧宅案内所というのが近くにあり、
まずこちらへ行く方がよさそうです。


こちらへ行くには、
高崎線本庄駅で下車して、タクシーで行くか、
東武伊勢崎線境町駅で下車してタクシーで行くしかないようですね。
お財布的には厳しい遺跡になりますね。

最寄駅からのルートを調べられるよう、
ヤフーの路線検索を貼っておきます。

周辺の地図はこちら!


この家は、カイコの安定的な育て方を発見された方の家です。
この方法が見つかるまでは、発育が毎年まちまちだったのですね~。

ただ、旧宅とはいっても、現在は別の方が住んでいて、
当然家の中に入ることはできません。
庭まで見学することできます。



最後に、電車で行くなら駐車場の心配もなく、
予定もたてやすいので、スムーズな旅ができると思います。

しかし、遺産すべてをまわるとすると、
移動も大変で、これに関しては自動車の方がすぐれています。

自動車で行きたい方はこちらをごらんください


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富岡製糸場への自動車でのアクセス方法 [アクセス]

富岡製糸場への、自動車でのアクセス方法について、調べてみました。
他の世界遺産地へのアクセス方法についても調べてみました。



①富岡製糸場

まず、富岡製糸場です。
基本的にはホームページにのってるとおりですね。


多くの方は高速道路を使ってこられるでしょうから、
上信越自動車道富岡I.Cを下車して、いくつかある駐車場まで自動車を走らせ、
そこに停めて徒歩により富岡製糸場に向かう、ということになります。


とりあえずカーナビに、
①富岡市富岡1149
②富岡市富岡1115のいずれかをインプットし、
指示どおりに行け大丈夫です。

①の地図はこちら!(クリックすると地図が出ます)
②の地図はこちら!(クリックすると地図が出ます)




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②高山社跡

次に、富岡製糸場と絹産業遺産群の1つ、高山社跡への行き方です。
上信越自動車道藤岡I.Cから行くことになります。
地図はこちら!(クリックすると地図が出ます)

また、藤岡市のホームページもご覧ください。
詳しいことがのっています。こちらです!


大体駐車場まで10キロくらいで、20分ほどです。
駐車場から遊歩道を歩いて5分くらいだそうです。
ちなみに駐車場は無料だそうです。
嬉しいですね~。


また、解説員がいるそうなので、詳しい歴史をきくことができます。
うれしいですね~。


それと注意しなければならないことに、
高山社跡にも駐車場はありますが、
体が不自由な方専門の駐車場なので、
健常者は利用できません。


ちなみにこの施設は、カイコの育て方の研究と講義をしていたところです。
簡単にいうと大学みたいなところですね。



③荒船風穴

次に、富岡製糸場と絹産業遺産群の1つ、荒船風穴への行き方です。
下仁田I.Cから駐車場まで40分ほどです。
詳しくは下仁田町のホームページをご覧ください。
こちらです!(クリックするとホームページが出ます)


ちなみにこの施設はなにかというと、
カイコの保存施設です。
この方法が技術を使っているものなので、評価されたものと思います。



④田島弥平旧宅

最後に、田島弥平旧宅です。
ここには、田島弥平旧宅案内所というのが近くにあり、まずこちらへ行く方がよさそうです。
周辺の地図はこちら!


北関東自動車道伊勢崎I.Cから約30分で行くことができます。
また、関越自動車道本庄児玉I.Cから約20分で行くことができます。


この家は、カイコの安定的な育て方を発見された家です。
この方法が見つかるまでは、ちゃんと育つか毎年かなりバラバラだったのですね~。
ただ、旧宅とはいっても、現在は別の方が住んでいて、
当然家の中に入ることはできません。
庭まで見学することできます。



最後に、ここで問題が生じます。 その問題とは、駐車場が空いているのか!?
ということですね~。


世界遺産に登録され、日本中をニュースが駆け巡りました。
それどころか、世界にそのニュースが配信されたことでしょう。
それはある人の観光意欲がかきたてられ、またある人の観光意欲がかきたてられ、
結果皆旅行を予定に組み込んでしまうというわけです。


同じ遺産でも、世界遺産になるとならないとでは、事実上箔が全然違います。
今しばらくは観光客があふれかえり、平日に行ったとしても空いているかあやしいです。


というわけで、電車で行く方はこちら!


ただ、1つ1つの遺産が離れているので、
1日で全部まわるのは困難です。
となれば、2日にわけて自動車でまわるのもありです。
交通手段には、メリットデメリットあります。


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富岡製糸場に行くときの駐車場 [駐車場]



富岡製糸場に行くときの駐車場について、
情報をがっつり探してみました。


1つ1つ地図付きで紹介したいと思います!


世界文化遺産に登録されて、
例え平日でも観光に行く場合、
かなりの混雑が予想されますから、
駐車場の場所はすべて把握しておく必要がありますね。



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乗用車の方

①宮本町駐車場 富岡市富岡1149

②上町駐車場 富岡市富岡1115

①②は30分100円(最初の30分は無料)で、17:30~8:00は上限500円


富岡駅東駐車場
駅の北東側、地図でいうと右上にあります。
③は無料


オートバイの方は、

宮本町駐車場 富岡市富岡1149

無料



乗用車の方は、無料がそりゃあ一番ですが、
3つの中で一番遠くにありますね~。


近いけど有料か、遠いけど無料か、
悩むところです。


しかし、そもそも空いてない可能性が高いですから、
かなり激しい場所取り合戦になることが予想されますね~。


そういう意味では、
自動車で行かずにバスのツアーで行ったりする方が、 ゆったり観光できて良いかもしれませんね。
駐車場で悩むこともないし。

行ってみたら駐車場がなくて停められない!
ってことになったら目もあてられませんから。


ということで、ツアー情報についてこちらにまとめてみました。
http://tomiokaseishijou.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21


ほかには、電車やタクシーで行くという方法もありますね。
それなら駐車場の心配をする必要もありませんし。


交通手段は難しいところですが、
慎重に考えて交通手段を考える必要がありそうですね。


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タグ:富岡製糸場

富岡製糸場の女工哀史 [女工哀史]


富岡製糸場でかつて働いていた、女性たち。
その女性たちを女工哀史を称することがあります。

今回はその点について、調べてみたいと思います。



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◇女工哀史とは?◇

本来は、紡績工場で劣悪な条件で働く女性が
どういう生活をしていたかについてのルポルタージュのことです。
しかしこれが転じて、現在では過酷な条件で働くことを、女工哀史といいます。


現代の問題である、いわゆるブラック企業のことを、
現代の女工哀史と言ったりします。


一見昔の言葉にみえて、昔も今も変わらない切実な問題でありますね。
サービス残業たっぷりなんて普通にありますし、
残業代が出るにせよ、残業が月に100時間ある仕事もある、
なんて話もありますからね。



◇富岡製糸場は、女工哀史だったのか◇

まず、富岡製糸場は、
大きく先に進んでいる外国に追いつこうと、
明治政府が富国強兵の一環として始めた近代的な器械製糸工場です。


開国当時は世界的に生糸が供給不足になり、
日本への需要が大きく高まりました。


しかし需要に対する供給を追い付かせるため、
粗悪品が出回るようになり、
日本の品質に対する評価が下がっていったのです。


今は世界に誇るメイドインジャパンも、
開国当時は全然違ったのですね。


そこで、ときの明治政府は、
器械によって生糸を生産する工場をつくることに決めました。


近代化を目指す大日本帝国ですが、
本当は重工業をやりたかったかもしれませんね。


しかしまずは取り入れやすいものから、という方向が、
結果的には良かったのかもしれません。
徐々にステップアップする方が、案外近道だったことは良くあることです。



そして、技術を教えたのはフランス人で、
条件もフランスに合わせて、操業が始まりました。
当初は官営の工場で、思いっきり赤字での操業でした。


まさに今も昔も官営は利益をあまり追求しないわけですね。
公共事業で利益を出しているものは、現代でも少数ですからね。


その一方で、当時の工女の労働条件は、良いものでした。
日曜休みの、8時間労働で、夏休みや年末年始もお休みありです。
食費や寮費なんかも工場持ちだったそうですよ。


現代も少しずつ改革されてるとはいえ、
公務員は基本的に良い条件が多いですからね。
現代に通ずるものがあります。


そういう意味では、女工哀史と官営時代の富岡製糸場の工女は無縁でした。


ちなみに、良い条件にもかかわらず、富岡製糸場の操業前の募集は、
あまり工女が集まらなかったそうです。


理由は、西洋人に生き血を吸われるといううわさが流れたから。
これは、赤ワインを飲んでいたのをみてそう考えたとされています。


そりゃ当時はワインなんてありませんからね。
現代で例えるのは難しいですが、
初めてみたものって悪い方に悪い方に想像するのは、
人間の性格上致し方ないのかもしれません。


しかしその後、富岡製糸場は民間への払い下げをされます。
民間ともなると利益の追求が至上命題です。


官営の頃と違い、赤字になったら経営者のふところに直結するから当然ですね。
そうなれば当然、労働条件は悪くなります。


現代の普通の会社でも、
利益が少なくなったり赤字になれば給料は減るし、労働時間は伸びます。


その当時の富岡製糸場でも、労働条件が悪くなりました。
実際にも、工女からストライキが起きています。


しかしこの民間時代の労働条件について、しっかりとした文献はあまりなく、
操業当時の官営時代を語るものが多いです。

だからいかにもずっと良い条件で工女たちが働いてきたかに思う方が
多くなってきているようですが、
実際には「富岡製糸場の女工哀史」は存在したのではないか、と考えます。



◇最後に◇

とはいえ、当時の日本は、
いや、民間の工場は大抵、悪い条件でした。


12時間以上働かせるところなんてザラでした。
日本に限らず世界でもそうです。


資本家は労働者をたくさん働かせて、利益を独り占めしていました。
これにより、格差が大きく広がることになりました。


日本国憲法は、勤労の条件を法律で定めるとしています。
つまり法律で定めなければならないということです。


これは、国民の代表である国会が作る法律に限定することで、
悪い労働条件を防ごうという方向性を示しています。


歴史は常に、何か問題が生じたときに、
少しずつ良くなるように制度に手を加えていきました。


女工哀史は被害者であると思います。
ただ、歴史の大きな波を考えると、
過去存在したことは致し方なかったのかもしれません。


富や財産の独り占めが可能な地位に立った者の多くは、
その権利を行使するだろう、ということは、想像に難くありません。


歴史は少しずつ良くなるように手を加えたと上述しましたが、
それは人々の声によるところが大きいのだと思います。


労働者がこれはおかしいと声をあげたことで、
少しずつより良い今が作られているのだと思います。

 
女工哀史とは、歴史の波に翻弄されつつも、
懸命に自分の意見を主張して生きた人々と考えても良いのかもしれません。


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タグ:富岡製糸場

富岡製糸場のお土産情報! [お土産]

富岡製糸場のお土産情報について、色々調べてみました。


代表的な物を中心に、
もらった人の受けが良い!買いやすい!
という点をメインに、良情報をお伝えしたいと思います。



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①和風絹しゅうまい

信州屋というお店で売られているしゅうまいです。

なんとこのしゅうまい、材料に絹が!



・・・使われてたら面白いのですが、
厳選した国産の豚肉と玉ねぎなど、材料にこだわりはあるものの、
変わった材料は使ってないようです(^^)


ただ、絹のようになめらかな口当たりってことで、
この名前みたいですね~。


上州といえばしゅうまい!とは言わないので、
これから波にのって、名物にしてやるぜ!!
っていう感じでしょうか?


評判は高いようで、無難なお土産として、おすすめです!
料金は8個入り760円、15個入り1400円です。
気に行ったらリピートも可能ですよ♪


通販もやっているようです。
サイトはこちら!

お店の場所:〒370-2316 群馬県富岡市富岡51番地(クリックで地図が出ます)


②くず湯 まゆこもり

まゆ菓優 田島屋のくず湯に食す一品で、繭の形をしています!
食べる時はくず湯にするので、繭を食べる感じにはなりませんよ^_^;


アレルギーもないし、血行改善の効果が期待できるので、
冷え性の女性には、ありがたいですね~。


プレーンや抹茶味などがあるようです。

くず湯って、好きじゃないとそんなに飲む機会はありませんから、
めずらしい、ありがたいと思ってもらえる一品ではないでしょうか??

ただ、すごくすごーく虫嫌いの方へのお土産とするには、
注意が必要ですね^_^;


通販もやっているサイトはこちら!
お値段は、税込みで10個入り583円、20個入り1080円、40個入り2160円、60個入り3240円です。

お店の場所:富岡市富岡34-1(富岡製糸場正面)



③七味とうがらし

吉田七味店という、唐辛子の専門店です!

100年以上も続く老舗で、上州人の胃袋を影で支えてきた一品ですね!
山椒やごま、しそ、青のりなどの色々な材料を独自の配合でブレンドしていて、
ファンの多い品です。


お土産としても辛い物好きにはかなりおすすめできますよ~。
注文するとその場で袋詰めしてくれます。
味は中辛・大辛・特辛の3種類です。


ふりかけとしても愛用されていて、ただ辛いだけではなく、
美味い味付けがしっかりされているようです。
ハマりすぎに注意が必要ですね(^^)


お値段は中辛・大辛が25グラム324円、42グラムが540円、袋詰め合わせセットが1144円です。
特辛は25グラム486円です。
通販もやっているサイトはこちら!

お店の場所:〒370-2316 群馬県富岡市富岡1071-5(クリックで地図が出ます)



④シルクシフォン

カフェドロームというお店の品で、なんと繭から抽出した、
シルクタンパク液を生地にしみこませています!


繭を食材に使ってしまうなんて、すごいですね~。
しかもそのため、なめらかな食感だそうです。


なんとか繭を食材に使って、地元の名物にしようとした、
店主の気合もまた感じられる一品です。


ほかにも、桑の葉シフォンケーキもあるようです。
桑の葉を生地に練り込んでいます。


このお店は、お土産もばっちりですが、
お店自体も明治時代の古民家を改装していて、
当時の面影をありありと残した、
とても雰囲気のある、レトロなお店です。

ここでくつろぐのもおすすめです。


通販もやっているサイトはこちら!
お値段はシルクシフォンが1個160円で、シフォンケーキ7個入りで1100円です。

お店の場所:〒370-2316 群馬県富岡市富岡51-4



⑤富岡製糸場工女さんも愛したカレー

富岡製糸場がまだ現役でバリバリ稼働していたころ、
そこの工女さんも、高田食堂というところで食べて元気を取り戻したという、
影で富岡製糸場を支えた一品です!


昭和20年から現在まで、愛され続けているカレーで、
富岡製糸場内の売店でも買えます。


しかし目を引くのはネーミングですね~。
まさにそのまんまです。

「このカレー、どういう名前が良いかな?」「そのまんまで良いんじゃない?」
ていうやり取りを想像してしまいます^_^;


この商品は、どうやら通販はやってない模様・・・。

お店の場所:群馬県富岡市富岡22



⑥その他


富岡製糸場という名前の地酒があるようです。
こちらです。




また、かいこの王国というカイコの形をかたどった、
ホワイトチョコレートの一品です。


虫嫌いの方に贈るには、気をつけないといけませんね^_^;
丸エイ食品という会社の品です。
お値段は3個入り700円で、こちらで買うことができます!


以上、おすすめでした!

しっかり予習していってください!
ただ、万が一買い忘れたときは、 通販で買って渡せば大丈夫ですよ(^^)


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タグ:富岡製糸場
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