富岡製糸場が世界遺産となった理由について [世界遺産の理由]
富岡製糸場が正式に世界遺産の仲間入りをしましたね。
しかしなぜ世界遺産として認められたのか、
理由が気になるところです。
というわけで、理由を調べてみました。
厳密には富岡製糸場だけではなく、
高山社跡、田島弥平旧宅、荒船風穴の絹産業遺産群を含めて世界遺産ですので、
1つ1つその理由を書きます。
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①富岡製糸場
まず富岡製糸場がフランスの優れた技術を導入し、
いち早く自分のものとし、
それによって高品質の生糸を作り、世界からの信用も得て、
日本の近代化に大きく発展し、
また、世界的にも養蚕技術の発展に寄与した、
ということがあげられます。
技術大国日本の片鱗は、
もうこんな時期からみせていたのですね~。
当時の工女たちも勤勉だったなんて、
同じ日本人で良かったな~と思います。
ほかに、建物自体もとても良い評価でした。
というには、壁は木骨にレンガで造ってあり、屋根は瓦という、
和洋折衷の当時の象徴みたいな建物なのです。
また、片倉工業株式会社がきれいな状態で、
なおかつ当時の製法にこだわって保存していたので、
当時のことを知る建物としても、高評価でした。
どこの時代のどこの場所の歴史も、文化と文化が重なると、
つながった新たな文化が生まれていますね。
日本でも神仏が一緒になったりしていますし。
②高山社跡
高山長五郎氏がカイコの生育法(清温育)を確立し、
高山社といういわゆる学校で研究と後進の育成に励んだそうです。
ここで教えられた生徒が、さらに地元に戻るなどして教えました。
まさにこの場所が生糸の工業の大事な一翼を担っていたのですね~。
それまではカイコというのは、養育が難しいもので、
生産量も年によってまちまちで、
安定的な生産が難しかったそうです。
今でいうと、マグロやウナギみたいなものでしょうか?
マグロやウナギは需要がすごくあるのに、
養殖がとても難しいのです。
③田島弥平旧宅
その名のとおり、田島弥平氏が功績者なのですが、
高山長五郎氏の清温育の元になった、
「清涼育」という方法を確立した方です。
そしてこの家は、この清涼育に適した構造をしています。
つまり、ここでカイコが育てられていました。
そして今も、田島弥平氏の子孫がこの家に暮らしています。
なので、家の中は見ることができず、庭までしか行けません。
それにしても、世界遺産の家に住むってどんな気分なんでしょうね~。
とりあえず知り合いには自慢してまわりますね。
そしてここを訪ねる友人もまたその友人に自慢するのでしょうね。
また、明治時代の家だから、築100年は軽く超えてますね。
逆に世界遺産ということで、
今住んでいる子孫の方々は、よりちゃんと保存しなくてはと、
プレッシャーを感じているかもしれませんね^_^;
④荒船風穴
ここは、蚕種というカイコの卵を保存するところでした。
ほかにもあったのになぜここかというと、
規模がずば抜けていたことにあります。
どのくらい差があるかというと、
田舎の電器屋と都会の家電量販店くらいです。
すごいですね~。
以上、富岡製糸場等が世界遺産となった理由でした。
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