富岡製糸場と絹産業遺産群と世界遺産とは [絹産業遺産群]
今回新たに世界遺産となった富岡製糸場と絹産業遺産群ですが、
富岡製糸場のほかの絹産業遺産群とは、 高山社跡、荒船風穴、田島弥平旧宅の、
3つの場所を示します。
富岡製糸場と絹産業遺産群について1つ1つ解説します。
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①富岡製糸場
明治時代、開国した日本は既に随分先を行っていた欧州列強に追いつくため、
ときの日本政府は近代化を進めることにしました中で、
その先駆けとなった、生糸の器械産業の官営工場です。
本当は重工業をガンガンやって、
列強に追いつきたかったかもしれませんが、
急がば回れということと、
当時生糸は世界的に不振で、大きな需要が見込めることからチャンスだったことがあげられます。
また、なぜ今の群馬県である上州の地が選ばれたかというと、
工場用の広い土地があること、
たくさん使う水が豊富にあること、
元々上州はカイコの生産をしていた地で、カイコの調達も容易だったこと、
何より地元の反対がなかったことなどがその理由とされています。
やはり地元の反対があるなかどでかい工場をたてて、
大きな音をたてて操業するのは難しいでしょうから、
地元の人の反対がなかったのが一番大きいのではないでしょうか?
反対する人って、すごい行動に出ますし。
その場所に住んで居座ったり、
もっとすごくなるとせっかくつくった建物を無理に壊したりしますし。
上州の方々の先見の明に敬服です。
そして、フランス人の技術者と契約し、
操業がはじまりました。
この工場は世界的にも最大規模で、
また、和洋折衷の建物で珍しかったことも特筆すべきことですね。
木骨にレンガの壁に、屋根は瓦だったのです。
日本からすると、技術を取り入れて進化したのは
カイコの生産だけではなく、建物や道具もそうだったのですね~。
この生糸は非常に高品質で、良く売れたといいます。
官営工場だったこともあり、利益よりとにかく良い品質を!
という方針だったようです。
その後、民間に払い下げもあったりして人手に渡って渡った後、
今の片倉工業株式会社が所有し、当時の姿を守ることに腐心しながら
工場を守り続け、現代としては貴重な、ほぼ当時の姿を保ったまま、
世界遺産になったのです。
片倉工業の方々には頭が下がりますね。
保存費もすさまじく、年に一億円かかったこともあるとか。
それでもたとえばお金をとって人に見せたりするのではなく、
ただ守っていたということですから、
本当にすごいです。ありがとうございます。
②高山社跡
明治当時、高山長五郎さんと言う方が、
カイコを安定的に育てる清温育という方法を確立しました。
それまでは安定して育てることができなかったのですね~。
カイコってのはデリケートな生き物で、
育てるのが難しかったといいます。
やはり生き物を育てるというのは、
難しいのですね。
植物でも、リンゴなんかも育てるのが難しいっていいますね。
動物にせよ植物にせよ、大変なものは大変なようです。
そして高山社というところで、カイコの研究と、
清温育を人に教えるいわば学校のようなところのあとが、
高山社跡です。
カイコの生産が大きく発展した場所ということで、
ここも世界遺産に加わりました。
③田島弥平旧宅
田島弥平旧宅は、跡ではなく旧宅とあるとおり、
まだ現存して田島さんの子孫の方が現住しています。
ここはカイコを育てる農家だったところで、
上記の清温育の参考になった、清涼育と言う方法で育てられました。
その方法を発見したのが田島弥平さんです。
ここもカイコの生産の発展に大きく寄与したということで、
世界遺産です。
④荒船風穴
ここは蚕種という、カイコの卵を保管するところでした。
なにがすごいかって、その規模がずば抜けていたことがあげられます。
他の人から請け負って、保管したりしていたようです。
ほかにも風穴はありましたが、その規模ゆえに、
世界遺産となったようです。
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